2012年2月20日月曜日

月曜日の朝






















朝の厳しい冷え込みが続くこの頃。
そんな中で月曜日の朝は特に気が乗らない。
いや前日夜には準備万端、っしゃっー!て感じなんだけど
いざ朝になると、食事をしながら、天気予報を見ながら、歯を磨きながら、
自転車に乗れない理由を考えてる。
で、乗れない理由が見つからないと憂鬱なまま自転車を外に出す。
でもそこまでくればもう半分会社に着いたも同然。

さて確かに最近の朝の空気はピリリと冷たい。
でも晴れているから気持ちいい!

いつものようにいつものごとく
ペダルを回す。

その間もクルマたちは車道を走る自転車のことを十分理解しているかのよう。
十分なクリアランスをあけて静かに追い抜いてくれる。
信号が赤から青に替わるときもそう。
自転車がフラッと走りだして安定するまで後ろで待っていてくれる。
感謝!

こちらも邪魔にならないようできるだけ左寄りを走る。
通勤自転車の車道における地位も高まってきている。

ある交差点。赤信号。
爽やかだ。
風になびく草木の音。歩道上の園児とお母さんの楽しげな話声。
空気は冷たいけどキラキラ光る朝の陽の光。気持ちいい!

と思ったのも束の間。
パンパンパン!とけたたましい音でバイクが自転車の前に出て停車。
すべての音がパンパンパン!にかき消される。
ドドドド!という別の一台の音も加わる。

鼻先にマフラーを持ってこられ、その臭いにたまらず自転車をバイクの前に出直す。
それでも臭い!

信号が青に替わる前から、今度は苛立ったような空吹かしが始まる。
さらに臭くてクラクラする。

マフラーがバイクの後ろについているせいか、乗っている人はそんなことお構いなしだ。
考えてみればバイクのマフラーの位置って随分配慮に欠ける位置だ。
そろそろ後ろではなく前から出す時代にではないだろうか。
そうすれば運転する人も考慮するし、EVも視野に入るだろう。
自転車ならもっといい。
さもなければ、せめて止まっているときだけでもエンジンを止めてもらいたい。
じっとしているのに音も排気ガスもエネルギーも不要である。

こうやって車道上でものすごいキツイ臭いの排気ガスを毎日至近距離で吸っている。
これが習慣になっているのだが、健康上問題ないのだろうか?






2012年2月19日日曜日

自転車が見下される理由



























給油のため子供とクルマで出かけた。
自転車に乗る若いご夫婦(に見えた)が車道左端を走行していたので、
大きく間隔をあけ、アクセル開度を小さくして静かに追い越した。
その先の小さな交差点で赤信号、自転車が追い付いてくるはずと思い、
左側を十分に空けてクルマを停車。
まもなく2台の自転車はクルマに追いつきそのまま交差点へ。
当たり前のように赤信号を無視して直進した。
一台はロードバイク、もう一台はクロスバイク、
二人ともサイクルジャージにヘルメット。

子供が複雑な顔をして言った。
「ダメだよね。大人なのに!」

自分の前後のクルマも対向車線のクルマも、みんな見ていたと思う。

車道を走る軽車両という自覚がまったくないようにみえる。
問題なのはこういう行動をとる自転車が非常に多いこと。

こんなことで車道を走る自転車の権利など主張できるわけがない。
自転車に乗ることはすばらしいことなのに。
ルールを守らないということは路上における自分の地位を確立できないということである。

2012年2月17日金曜日

「自転車市民権宣言」で云いたかったこと4




























古倉宗治先生は、自転車交通のすべてを知りぬいている方である。
いつも迷宮入りする自転車の走行空間についての議論も、先生にとってはすでに結論は出ているのだ。
この方がおられなければ、この議論は今後どうなっていくのか考えたくない。それほど重要な方だ。

これまで自転車は車道を走ることが大前提であることは何度も書いてきた。
これから自転車レーンが各地で導入されていくのであろう。
混乱を招かないために、全国共通の思想で作られなければならない。
ただ自転車レーンが先にありきではない。
狭いから自転車レーンが作れない。
だから自転車は歩道、ではなく、自転車レーンが作れない場所でも自転車は車道なのだ。
レーンが一人歩きすると、東京都のように荷物の積み下ろしのための車両があるからレーン設置はダメ!
じゃあ自転車はどこを走るのか?歩道?なんていうようなおかしな話になりかねない。
積み下ろしの車両があろうが、そのためにレーンが作れなくとも、自転車は車道を走るのである。
その車道を走る自転車のスペースをクルマに認識してもらい、より高い安全性を確保するために作るレーンである。
そこがぶれてはいけない。

果たして自転車先進国に追いつくことができるだろうか?
それは容易なことではない。

ただ日本の国民性を考えると、クルマのドライバーと自転車に乗る人が、法律を正しく認識し、安全意識を共有できれば、必ずしも自転車レーンがない場所でも、お互いに安全な走行空間をシェアできると考える。
繰り返すが自転車レーンが不要と言っているのではない。レーンはあって欲しい。
ただ車道上に自転車レーンがなくとも路上をシェアして走行する。
どういう状況においても秩序をもってもきちんと並ぶ国民である。
自転車とクルマが道路をシェアすることが当たり前になったとき、
暗黙の規律ができあがり、安全な交通の流れが出来上がる。
それこそが日本が自転車先進国に一気に追いつき、さらにその上のモラルの領域まで達する方法だと思う。

レーンがなくとも事故を起こさず路上を上手にシェアするすばらしい国民!
海外からそんな評価を受ける。
日本の国民というのはそういう国民なのではないか。

まずはクルマ、自転車の位置づけとルールの正しい理解。そのための教育。
ここからであると思う。


2012年2月16日木曜日

「自転車市民権宣言」で云いたかったこと3














鈴木美緒さんから、グーグルマップを用いた海外の交差点での自転車レーンの実態の紹介があった。非常に新鮮な内容であった。
「自転車が身近すぎてイメージにとらわれ過ぎている」とのコメントも。
なるほどその通りだ。
「早く着ける車道か、ゆっくりでも安心して着ける車道か」
とうコメントも興味深い。
これはスポーツ自転車のような比較的高速で走る自転車は車道走行が最速だが、子供を載せたシティバイクに乗る人の立場からはそのまま追従することは難しく、ゆっくりでも安心して着ける車道が選択肢になるということ。
ようするにスポーツ自転車と同じ感覚では危険であるとの見解だ。

確かに現状はそうかもしれない。
だが前述したように、車道を自転車に配慮せずに走るクルマをなくせば状況は変わってくるはずだ。

ここでも自転車に乗る人はクルマに遠慮している。
クルマは自転車を避けられる!
ルールを守っていないだけだ。

自転車を超えもう少し広い視野に立つと課題は多い。
すべての自転車が車道を走行すると、クルマは走りづらい。
自転車を簡単に追い越せず、スピードが落ちる。
渋滞も起きるであろう。平均速度もさらに下がるであろう。物流も影響を受けるに違いない。
別にクルマが機能しなくていいと言っているわけではない。
クルマの機能が自転車の機能の犠牲の上に成り立っていることが問題なのだ。

新たな課題は生じるが、その解決法が自転車の歩道走行ではダメなのだ。
自転車にとって「早く着ける車道か、ゆっくりでも安心して着ける車道か」
ではなく常に「早くて安心して着ける車道」であるべきなのだ。

そこでたとえばクルマの業界で新たな課題を解決する。
自転車に安全なクリアランスを空けて走行するための新たな解決法だ。

日本の道路は狭いので自転車レーン設置は難しい?だから自転車は車道走行はダメ?
いやいや、
この20年、30年の間にどれほどクルマは大きくなってきたのか?
2人もしくは3人の人間が並んで座るために必要以上に大きくなってきた。
そのときクルマは作る側も買う側も、日本の狭い道路で自転車と共存することを考慮してきたか?
答えはノーであろう。

「車幅は狭いが早く着くクルマか、車幅は広くて快適だがゆっくり着くクルマか」
論点はたとえばこういうところにある。

室内はエアコン完備、一年中静かで広くて快適。走りながら食事もできる。テレビも観れる。
排気ガスと熱はすべて外に出す。騒音も振動も風圧もすべて外。
止まっていてもCO2を排出し続ける。
しかも自動車専用道のみならず一般道も交通弱者よりクルマが優先。
さらにそんな大きなリビングをたった一人で乗り路上を独占する。
時には自転車に乗る人を危険にさらしてでも駐車し、その中で寝たりもする。
(正確には停車らしいが)
その上自転車が車道を走るとクルマが通れないだろっ!て?
こんなエゴイスティックな移動手段あるだろうか。

考えるべきは自転車ではない。感覚の麻痺したクルマである。
自転車が見直されることで、クルマの課題が表面化しただけである。

もうひとつ付け加える。
これはクルマが未来にむけて大きく変わるチャンスでもある!



2012年2月15日水曜日

「自転車市民権宣言」で云いたかったこと2




















毎日新聞社の記者である馬場直子さんより、歩道上における自転車と歩行者の事故の過失の割合についてコメントがあった。
4地方裁判所間の話し合いの結果、その過失の割合を10:0とするというのだ。

私の経験では歩道上の自転車走行時の人との事故というのはほとんど避けれらないと言っていい環境だ。
その事故を避ける事前対策としての徐行。
事故の際のダメージを最少とする事後対策としての徐行。
いや本来は車道を走るべきであるが、ここでは仮に自歩道であるとする。
そして加害者として最低限おこなわなければならない補償のための保険。
加入はマストであると言える。
ここでは子供の自転車が加害になるケースも忘れてはいけない。

結果、それでも事故は起こるのだ。
あくまで起こした時のリスクを下げるための対策である。

歩行者の立場から考えるとこの判断は真っ当であると考える。
歩くための歩道。
乳児、幼児、高齢者、皆が安心して歩き、憩う場所であるべきである。
そのスペースを殺傷能力のある自転車が走ること自体が大きなリスク、というかそもそも誤りなのだ。

自転車にとってさらに多くの意味で車道の方が安全であるという認識になった。







2012年2月13日月曜日

「自転車市民権宣言」で云いたかったこと1


















2月13日、東京都港区の日本自転車会館にて「自転車市民宣言」大討論会が開催された。
パネリストは
片山右京氏(元F1ドライバー)
古倉宗治氏(住信基礎研究所研究理事)
鈴木美緒氏(東京工業大学大学院総合理工学研究所助教授)
馬場直子氏(毎日新聞社編集局社会部記者)
コーディネーターは
小林成基氏(NPO法人自転車活用推進研究会理事長)
とベストメンバーである。
各パネルリストの立場からの貴重なコメントをお聞きすることができた。
さすがにすべて実態に沿ったうなずける内容のコメントばかりであった。
コーディネーターである小林成基氏の
「自転車について社会は無関心であったがやっと無理解のところまできた。あとは理解である。」とのウィットのきいた内容のコメントをされたのが印象的だった。
そのとおりである。

最後に自転車活用推進議員連盟事務局長である自民党参議院議員の岩城光秀氏に片山右京氏より「自転車市民権宣言」署名用紙が手渡された。

各パネリストの方のいろいろなコメントについては引き続きコラムで紹介する。
ただいつもそうだが自転車の路上の位置づけを議論すると必ず話が先へ進まなくなる。
スピードの速いスポーツ自転車はよいとしても、子供を同乗させている自転車に車道を走らせるのはどうか?
どうかというのはつまり危険ではないかということである。
その結果、歩道上をとか車道上に自転車レーンを作って、とか、話が発散しついには停止する。

はっきり言うと、どのような自転車であろうと、法律ではすべて車道である。(老人と子供は例外あり)
車道が危険なのではない。
車道が危険と思わせるクルマのドライバーの運転が問題なのである。
クルマがまるでレールの上を走り自転車をよける機能がないような理解、位置づけである。
そうではない。
クルマは自転車を避けられる。その程度の運動性能を備えている。
では何が避けられないか、それはたとえばクルマの通過する際の風圧とか音とか、それが自転車にとって脅威であったりする。もっと言うと排気ガスもそうだ。
大型トラックと並走するときのあの大きなタイヤの威圧感、振動と騒音。幼児でなくとも恐怖を感じるであろう。

自転車に乗る人たちで集まって議論するべきことは、自転車はどこを走るか?ではなく、自転車の車道上の権利をフツーに守るためにクルマ側にお願いしたいことを明確にすることではないだろうか。
まず自転車優先で安全な距離をあけてもらう、安全な速度で通過してもらう。つまり道交法を守ってもらうこと。当たり前のことである。
そして次にクルマから発する騒音や風圧、排気ガスをコントロールしてもらうこと。
例えばヨーロッパの車の多くのマフラーが車体の左後側に設置されている。これは彼らの土地で歩道側から極力離した位置だと聞いている。

車道上に自転車レーンがあろうがなかろうが、そこを合法的かつ安全に自転車で走るのは、われわれの権利である。
本質は極めてシンプルなのである。

2012年2月12日日曜日

Don't lose it !





















一足早くバレンタインのチョコレートをいただいた。

世の中でなくしてはいけない大切なもの、しあわせの象徴としての「ボタン」
を模したチョコレート。
これまで食べたことのないとても繊細で上品な味。

エクアドルの農園で作られたオーガニック栽培のカカオを使い、
カカオを作ることで幸せになれる「環境」と「夢」のためにフェアトレードにこだわった
チョコレートとのこと。

地球環境と夢
いろいろな世界で実現している人たちがいる。