2012年2月16日木曜日
「自転車市民権宣言」で云いたかったこと3
鈴木美緒さんから、グーグルマップを用いた海外の交差点での自転車レーンの実態の紹介があった。非常に新鮮な内容であった。
「自転車が身近すぎてイメージにとらわれ過ぎている」とのコメントも。
なるほどその通りだ。
「早く着ける車道か、ゆっくりでも安心して着ける車道か」
とうコメントも興味深い。
これはスポーツ自転車のような比較的高速で走る自転車は車道走行が最速だが、子供を載せたシティバイクに乗る人の立場からはそのまま追従することは難しく、ゆっくりでも安心して着ける車道が選択肢になるということ。
ようするにスポーツ自転車と同じ感覚では危険であるとの見解だ。
確かに現状はそうかもしれない。
だが前述したように、車道を自転車に配慮せずに走るクルマをなくせば状況は変わってくるはずだ。
ここでも自転車に乗る人はクルマに遠慮している。
クルマは自転車を避けられる!
ルールを守っていないだけだ。
自転車を超えもう少し広い視野に立つと課題は多い。
すべての自転車が車道を走行すると、クルマは走りづらい。
自転車を簡単に追い越せず、スピードが落ちる。
渋滞も起きるであろう。平均速度もさらに下がるであろう。物流も影響を受けるに違いない。
別にクルマが機能しなくていいと言っているわけではない。
クルマの機能が自転車の機能の犠牲の上に成り立っていることが問題なのだ。
新たな課題は生じるが、その解決法が自転車の歩道走行ではダメなのだ。
自転車にとって「早く着ける車道か、ゆっくりでも安心して着ける車道か」
ではなく常に「早くて安心して着ける車道」であるべきなのだ。
そこでたとえばクルマの業界で新たな課題を解決する。
自転車に安全なクリアランスを空けて走行するための新たな解決法だ。
日本の道路は狭いので自転車レーン設置は難しい?だから自転車は車道走行はダメ?
いやいや、
この20年、30年の間にどれほどクルマは大きくなってきたのか?
2人もしくは3人の人間が並んで座るために必要以上に大きくなってきた。
そのときクルマは作る側も買う側も、日本の狭い道路で自転車と共存することを考慮してきたか?
答えはノーであろう。
「車幅は狭いが早く着くクルマか、車幅は広くて快適だがゆっくり着くクルマか」
論点はたとえばこういうところにある。
室内はエアコン完備、一年中静かで広くて快適。走りながら食事もできる。テレビも観れる。
排気ガスと熱はすべて外に出す。騒音も振動も風圧もすべて外。
止まっていてもCO2を排出し続ける。
しかも自動車専用道のみならず一般道も交通弱者よりクルマが優先。
さらにそんな大きなリビングをたった一人で乗り路上を独占する。
時には自転車に乗る人を危険にさらしてでも駐車し、その中で寝たりもする。
(正確には停車らしいが)
その上自転車が車道を走るとクルマが通れないだろっ!て?
こんなエゴイスティックな移動手段あるだろうか。
考えるべきは自転車ではない。感覚の麻痺したクルマである。
自転車が見直されることで、クルマの課題が表面化しただけである。
もうひとつ付け加える。
これはクルマが未来にむけて大きく変わるチャンスでもある!
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