2011年3月29日火曜日

自転車を活用してみる




















いつも自転車で通勤する距離は最短経路で片道22キロメートル。
この道程には約30箇所に信号機がある。
自転車での所要時間およそ1時間10分。
もちろん信号待ちも入れた時間。
同じ時間帯にクルマで移動したときの所要時間は1時間15分。
クルマの瞬間速度は自転車より速いが、信号で止まるたびにリセットされてしまう。
途中ひどい渋滞箇所があり、1つの交差点で5~10分動けない。
そんな交差点がいくつかある。
結果としてクルマより自転車の方が移動時間が少ない。

にもかかわらず渋滞の中、相変わらずクルマのドライバーは車内でじっとしている。
炭酸ガスを排出しながら。
エアコンを効かせながら。

一度外に出てきてみてはどうだろう。
自転車で移動してみてはどうだろう。
いつもより早く会社に着く!という事実に目から鱗が落ちるはずだ。

決して楽ではない。
上り下りの連続だ。イヤにだってなる。
でも渋滞だってイヤなはずだ。
化石燃料を燃やすのではなく、脂肪を燃やしてみる。
本当に簡単な事。頭で考えるのではなく体を動かすだけで結果が出る。
地球環境負荷も遥かに小さいはずだ。

2011年3月27日日曜日

持続可能な社会に向けて




















空気、土壌、農作物、水道水、放射線による汚染濃度が毎日のように変わり、震災以来、次々と店舗からなくなる商品が変わっていく。
消費者の不安が過剰な買占めに走らせる。

先日、自宅にミネラルウォーターがなくなったため、会社帰りにコンビニに立ち寄った。
3件目の店舗でやっと見つけたミネラルウォターは配送直後なのか店舗にはたくさん陳列されていた。
2リットルボトル1本を購入し、バックパックに詰めた。
ペダルを回していると荷物がいつもより重いせいか、購入した水に想いがめぐる。
家族全員分の食事に効率よく使うとどれくらいもつのだろうか・・・?

それにしても自転車という移動手段は何と理想的なのであろう。
クルマという自分の力以上のツールを使うから自分自身では運びきれない量の商品を買いこむ。
ミネラルウォーターならカートに積めるだけ積んでクルマで持ち帰ることが可能であろう。

でも自転車なら、バックパックに入れられる1本がせいぜい。
カゴが装備されている自転車だって、クルマと比べればその積載量はたかがしれている。
みんなが徒歩や自転車で買い物に来ればまとめ買いが抑制されるのことは間違いない。

徒歩や自転車で可能な移動にクルマを使っていないか?
人間が持続可能な社会を創っていくためには、等身大の生活を送ることが必要。
そんな社会を創る上で自転車の使用を拒む理由があるなら、誰か教えてほしい・・・。

2011年3月23日水曜日

今こそ考えるとき(2)



今朝の自転車通勤。昨日までの静けさはなくなり、いつもの喧騒が戻ってきた。
ガソリン、軽油の供給が戻り、クルマがこれまでのように日常の足として戻ってきたようだ。
震災後から昨日までの静かな街はこれまで通りの街に戻ってきた。

原発の放射能漏れを少し気にかけながらも、排気ガスの臭いのない静かな街を一週間自転車で走ってきた。

それも今はもう過去のものとなりつつある。

東北地方の被害は未だ全貌が見えないが、それでも復興に向け少しずつだが前向きな話題が出てきている。
しかし、これでバタバタと元に戻すことだけを行うのは少し待って欲しい。
被害に合われた方々に一刻も早く普段の生活に戻れるようフォローすることはもちろんだが、同時に日本が今回の震災、原発の被害を受け、どういう形で国を復興するのか。
エネルギー政策の部分でよく考え、100年先を見据え持続可能な国をどう創っていくのか、明確にした上で進めて欲しいと思う。

被災地をはじめ、首都圏でも震災後、一時的に自転車が売れ、たくさんの人たちが活用した。
でも燃料の供給が始まると、少なくとも首都圏においてはとたんにクルマが増えている。
これでは自転車が「いざというときの」自転車でしかない。
多くの人たちが自転車の「力」を理解したにもかかわらずクルマでも電車でもなく、自転車の距離であることを理解したにもかかわらずクルマや電車に戻るのではまったく意味がない。

場当たり的に便利なものを使い、場当たり的な対応を行う、そんな場当たり的な生活はやめ、何割かの人たちが自転車を足として使ってくれるようになれば、その分バスや電車のシートが空く。
クルマだって減る。
少ない電車で利用者のニーズがまかなえる。
自転車を使わない人たちの生活にだって関わってくること。
今一度私達一人一人何ができるか考え、日本の復興にフィードバックしていかなければいけない。

そして東北地方の甚大な被害を受けられた方々。
今後の方向を決めるにあたり最も訴求力のあるあなた方の声に期待したい。
「経験した」人たちの前では「経験していない」人たちは何も言えない。

計画停電はまだまだ続くが、少なくとも首都圏は少しずつ元の街に戻ろうとしている。
あるべき姿を目指してこれからの移動手段の何割かを自転車にシフトする。
セルクルとしてできることを行っていきたい。

2011年3月22日火曜日

放射線量と自転車通勤(2)

福島原発の放水作業を実施して以降一定の効果が見え始めている。
電源も確保され今後安定した冷却が期待される。
収束はまだまだ先で、予断を許さないが、少しでも見通しが立つと俄然気持ちが前向きになる。
人間が知りたいのは現在だけではなく、未来なのだ。

さて本日首都圏で再び放射線量が増加したとの報道があった。
自転車通勤を日常とする人間にとって気になる放射線量について計算してみる。
仮に放射線量が今日の首都圏のように0.15マイクロSv/hであるとすると
1日で 
0.15マイクロSv/h × 24時間 = 3.6 マイクロSv/日

1年で 
3.6マイクロSv/日 × 365日 = 1314 マイクロSv/年 ≒ 1.3ミリSv/年

この値はは現在の放射線量が一日24時間365日続いた場合の値である。
自転車通勤で一日2.5時間屋外にいたとすると、この通勤によって受ける放射線量は        111日で
0.15マイクロSv/h × 2.5 時間 =0.375マイクロSv/日

1年で
0.375マイクロSv/日 × 365日 = 136.9マイクロSv/年 ≒ 0.14ミリSv/年

あくまで通勤の2.5時間に絞った話である。
実際には土日は休みなのでさらに値は小さくなる。
現在のような放射線量が1年間続くとは考えにくいが、仮に続いたとした場合の量である。
たとえばヘッドフォンを装着したり、無灯火で自転車に乗る方が、安全性という意味でははるかに高いリスクであることを見逃していないだろうか。

2011年3月20日日曜日

今こそ考えるとき





















福島の原発で放水作業が本格的に始まった。
一連の作業が期待する結果につながってくれることを祈りたい。
また日本を守るため、最前線において命を張って対応にあたっておられる方々に
あらためて敬意を表したいと思う。

ご存じの通り現在首都圏では電力不足を補うために計画停電を実施している。
これに対応するため
店舗では営業時間を調整し
照明を一定のレベルに抑え
会社では計画停電に合わせた業務対応を行い
電車の運行状況に合わせた出勤形態での対応を始めている。

電力供給が安定するのはさらに先であろうが
もし計画停電に対してこのような方策で対応可能なら
本来そうあるべきではないのか。

今一度行き過ぎはないか考えてみる。
便利だと思っていたことが、実は大きなムダであったことはないか。
本当はできるのに、できないと頭から決めつけていることはないか。
当たり前のことを 人間としてやるべきことをさぼっていないか。

文明がこれからもずっと発展していくためには
本当に持続可能な世の中を作っていかなければならない。

日本のエネルギー政策を真剣に考え直す時期であると思う。

2011年3月18日金曜日

暖がとれない


被災地の集積所では次々と救援物資が届いていると聞く。
でもどうして各避難所に届かないのだろうか。
今日も灯油が足りずに暖をとれない避難所の状況が報告されている。
もちろん多くの避難所の中ですべてがそうだとは言えない。
しかし冷え切った避難所におられる多くの被災者の方々のことを考えるといたたまれない。
やっとの思いで命をつながれた被災者の方々に、なぜまた次の試練を与えられなければならないのか。
でも、そんな中でも被災者の方々は言われる。
「寒い。灯油が足りない。でも自分たちだけがわがままを言うわけにはいきませんから。」
いやいやもっともっと声を大にして「灯油が必要だ!」と言ってほしいと思ってしまう。
企業であれ個人であれ、本当に必要とされる救援物資を避難所まで届く供給ルート
にのせるまでのシステムとしてのフォローが必要であろう。
とはいえ今はまず現地で頑張っておられるスタッフの方々が、物資の供給にあたって
直面している課題を早急に乗り越えてもらうことを祈るしかない。

さてセルクルでリンクを貼らせていただいている「株式会社オルナタ」殿が
オルタナ基金で東日本大震災の被災者支援のためのオルタナ基金を設立している。
被災者の方々ために何かできることを、と考えれれている方はぜひご検討下さい。
セルクルも微力ながら協力したいと思う。

オルタナ基金
http://www.alterna.co.jp/4894#

2011年3月17日木曜日

放射線量と自転車通勤
















首都圏でも放射線のレベルが上がっている。
屋内退避の範囲が広がりつつある現在、少しでもリスクを下げたいと誰もが思っている。

首都圏とはいえ自転車通勤で一日2時間半も路上(屋外)にいて大丈夫なのかと思ってしまう。
報道では放射線を避けるためには肌を露出しないよう、マスクをして・・・。
外で着ていた服は、帰宅したらポリ袋に入れるとも。
自転車用の防塵マスクを使用してリスクは下げられるのか。

やみくもに不安をあおることは良くないが、わからないため不安であることは事実。
程度は別として屋外にいる時間が長い方がリスクが高いというのは理解できる。
自転車の活用が見直されている昨今、
外を自転車で走ることができなくなるような事態は想像したくないが
まず正しい知識で正しい対応をしていきたい。

2011年3月16日水曜日

震災と自転車通勤

























鉄道のダイヤが乱れているせいか、自転車通勤の途中、
いつもより自転車が明らかに多い。
普段駅まで自転車、という人たちが会社まで自転車という人も多いと思う。
走行距離が増えるとおのずと事故の確率も高くなるので、それを防ぐ意味でも
以下の点に十分注意して走行してほしいと思う。
ただすべて最低限行うべき内容で、十分ではないことは強調しておきたい。

1. 左側通行を守る
原則車道を走行する。右側は絶対に走行しない。
ルールを守っている自転車と正面衝突をいう最悪の事故をもたらす。
やむ追えず自転車通行可の歩道を走行する場合は 歩行者優先で。
あくまで歩道を走らせてもらっているのだから歩行者を守るため速度を落とす。
たぶんこの条件で歩道を走ると、ほとんど徒歩と同様のスピードとなるのだが、
時間がかかると言って速度を上げてはダメ。
速度を上げるなら車道を走行する。

2. 信号を守る。
当たり前の話なので書くに忍びないが、みんなが道路交通法を守ることに
よって安全が確保されていることを認識する。
みんな信号をある程度信頼して走行している。
ルール無視によってあなたではなく、周りの人たちのリスクを高めることを認識す
る。

3. 夜間灯火を行う。
人間の目は日中でも自転車を見落とす。日中でも灯火を行うことを推奨する。
ましてや夜間、灯火しなければまったく認識されない。
あなたが見える見えないではなく、周りの人たちが見えるかどうかの問題。

4. その他
雨が降ったら無理をしない。
ブレーキが効きにくい。路面が滑りやすい。クルマから認識されにくい。等
事故のリスクが高まる。
傘さし運転や携帯、ヘッドフォンなどを用いた運転も極めて危険。
自転車通勤を続けると思うなら、保険、ヘルメット、グローブ等、
事故に合った時のリスクを減らすための対応を行う。
他人への事故のリスクを大きくしない運転は、自分の事故のリスクの減らします。
日本が危機にある現在、さらなる危機を増やさないようにして、自転車活用の良い
きっかけとなってくれればと思う。

2011年3月14日月曜日

がんばれ東北





















被災した東北地方の方々が暖を必要としています。
その源になるエネルギーが足りていない。

東電が計画停電の実施を始めた。
これを受けて鉄道も間引き運転をはじめた。
そのせいで会社にたどり着くのに一苦労。中にはたどり着かないケースも。

でも考えてみると、今は「普段」ではない。
未曾有の災害により命を落としたたくさんの人たち。
今この瞬間にも救出を待っているたくさんの人たち。
日本が危機に直面している。

そんな状況を打開すべく、エネルギーの確保という部分での計画停電。
「家も何もかもすべて流されたけど、家族全員が生き残れたことが幸せ。
それで十分です・・・。」
命からがら生き残り、インタビューに答えた被災者の方の言葉。

翻って今自分にできることは何だろう。
義援金の寄付?それも重要なこと。
でも電気が足りない、石油が足りない。物資も足りない。
そんな中、エネルギー、電気を少しでも多く被災地へ廻したい。
間引き運転の鉄道がダメだからクルマ・・・?
今本当にその便利さを追う時ですか?
それがないと命を落としますか?

海外から頑張れ日本、頑張れ東北、のメッセージがたくさん届き、
多くの国々が救援の手を差し伸べてくれている中、
日本人である自分が、自分の「普段」だけを追いかけていて良いわけがない。

ガソリンの供給が途絶えるからと、ガソリンスタンドの行列に並ぶのではなく、
食べられなくなるからと、パンを買い占めるのではなく、
クルマの利用は極力さける。パンは我慢する。

不便と感じても、「普段」ではない今、それを当たり前のこととして、
歩いて、自転車に乗って、節電して、必要最小限のモノだけ買って、
被災した東北地方の方々にできるだけのエネルギー、物資を廻したいと思う。