2012年7月31日火曜日

超小型EVによるパトロール



http://response.jp/article/2012/07/26/178564.html

横浜市と日産自動車がパトロールを開始するとのこと。
犯罪防止、交通事故防止を呼び掛けるそうだ。

斬新なEVのアピールだけでなく、斬新な内容の指導を行ってほしい。できれば期間限定ではなく。

自転車も超小型モビリティも注目されているのだ。


2012年7月24日火曜日

警察の取り締まり


(写真は本文中の内容と関係ありません)





















自転車通勤途中の片側3車線の幹線道路。
左側車線に違反車を止めたパトロールかーが停車中。
一番左側の車線をふさいている。

クリアするために右後ろを確認し第二車線に出る。
でも通勤時間なのでクルマの流れはきれない。
はっきりとした車線変更の意思表示とタイミングがすべてだ。
速度をつけて合図とともに車線変更すれば何とかなる。

でももしも自分の子供がこの状況におかれたら!?
できれば避けたい状況だ。

そこで声をかけてみた。

「取締りご苦労様です。交通量の多い幹線道路での追い越しは自転車にとって危険なので、できれば停車場所を考慮いただければ・・・。」

「大丈夫です。パトカーですから!」

なるほど、自転車で停車車両を第二車線に出て追い越す行為は大丈夫(=安全)ということだ。
なぜなら停車車両がパトカーだから・・・。

良いか悪いかではなく、自転車にとってどうなのかを訴えたのだが、最初から話がかみ合わない。

自転車と歩行者、自転車とクルマ。
それぞれの関係する事故。

自転車事故を減らすためにはまず何よりも自転車が車道を走ること。
そのために車道上での自転車走行が危険と思われる状況をできるだけ減らすこと。

これを実現するためには、第三者として外から関与するのではなく、自転車に乗って、車道を走って、仕事をして、生活をして、自転車の置かれた状況を他人事ではなく、自分の生活そのものとして、正しい理解のもとに対応する必要がある。
そのためにも、警察もぜひ「車道を走る自転車」を使い、それを仕事として、自転車目線で本質をとらえた取締りを行ってほしい。





2012年7月16日月曜日

原発の安全性





















原発は安全であるかそうでないか?
そんなこと聞いていない。
どんなものでも100%安全であるとは言えない。
だからいかに原発が安全であるかを説明されても困る。

どこまで耐えられるのか?
破壊モードがどこにあるかを知りたいのだ。

どのような地震、津波まで想定するれば安全かではなく、
どの程度の地震、津波までがシステムの破壊に至らず
逆にどの程度の地震、津波でシステムが破壊され臨界の危険性が生じるのか?
そこが知りたいのだ。
その上でどのような状況まで想定するかを我々国民が判断する。

想定すべきは地震、津波だけではない。
有事におけるミサイル攻撃の直撃については〇〇クラスまで、
隕石の直撃は〇〇クラスまで
航空機の墜落による直撃は〇〇クラスまでがOK、それ以上なら破壊、臨界に至る、
というようにシステムの限界がどこにあるかを明確にする。

そのリスクを想定するかどうかは後の我々の判断だ。

年間5000人近い人が亡くなる交通事故。
それでもクルマを使用する背景には、
どのような状況で事故が起こり、死亡に至るかを概ね理解しているからだ。
だから自分の使用環境の中でリスクを想定し、そのリスクヘッジが実行できる。
その上で、最悪の場合を想定、保険に加入し万が一の場合でも生活を守る。
つまり限界モードを理解した上で、メリット・デメリットを明確にし要不要を判断する。
そして必要と判断したならば、最悪の状況を想定、その時の対応を準備した上で覚悟を決めて受け入れる。

クルマは安全であるとどれだけ説明されても何も判断できない。
原発も同じである。





2012年7月10日火曜日

クルマを替えることにした

























自転車のコラムにクルマのトピックスで申し訳ないと思いつつ。

本当はクルマなしで自転車のみの生活にしようかと考えた。
でも自宅は駅から少し離れていて、雨の日や夜の時間帯の子供の送り迎えがあるためどうしても切り捨てられなかった。

今のクルマを購入したのが12年前。
長男が生まれたときそれまで乗っていた2シーターに替わって我が家にやってきた。

そのクルマも、長男に続いて次男が生まれ、子供の成長とともに家族4人とみんなの荷物、自転車を積むのにムリがでてきた。いろいろ工夫をしたがやはり限界がきた。
そして5年越しで検討した次のクルマ。
温暖化の要因であるCO2排出量、酸性雨の要因である窒素酸化物の排出量、そして経済性等を考慮してディーゼル車に決めた。もちろんEVは真っ先に検討したが、1台ですべてまかなう必要のある我が家にとって、荷室の容量がネックとなった。

今のクルマ、長男・次男とともに、家族の一員として幼稚園の送迎に始まり、習い事や買い物、週末のキャンプ、自転車のトランポとして毎日働き続けてくれた。

思い出いっぱいのクルマだ。

正直こんなに長い付合いになるとは思わなかった。もっと早い時期にトラブルで走れなくなるのではないかと考えていた。もちろん細かいトラブルはあったが、必ず事前に臭いや音で教えてくれた。そうやっていつも調子の良し悪しを示してくれる、本当の家族のようなクルマだった。

ときには、雨で自転車に乗れない私の気持ちに、自転車の替わりに応えてくれたりもした。

納車まで10日あまり、新しいクルマがやってくることをあれほど待ち望んでいた子供たちが、ここにきて複雑な表情だ。新しいクルマ、いつ来るの?から今のクルマ、いつまでいるの?に変わった。
彼らにとって思い出いっぱいのクルマと離れたくない気持ちが出てきたようだ。
大人と違って彼らにとっては生まれてからずっとの付合いなのだ。

今回クルマを手離すことがきっかけになって、子供たちがモノを長く大事に使うこと、その大切さを見直してくれたらと思う。
そして愛情をもってモノに接してくれたならもっと嬉しい。
最後に思い出いっぱいのクルマを子供たちとキレイに洗車して送り出そうと思う。

「12年間、ありがとう。」




2012年7月9日月曜日

超小型EVのその後







































新しいカテゴリーである超小型EV
すでにトヨタがこのカテゴリーのクルマの販売を開始
日産もすでに「ニューモビリティコンセプト」の名前で東京モーターショーでコンセプトカーとして紹介されている。
この元となったルノー ツウィッジーが本国で発表されており、2013年にはイギリスでも発売予定だそうだ。
この新カテゴリーのクルマ、「追高齢者向けの買い物用」にとどまらず、
未来の可能性をどんどん見出していってほしい。

現実にはバッテリーのコストと航続距離が課題のようだが・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=m-v8MQALb2Y&feature=player_embedded



2012年7月3日火曜日

作り手側の「哲学」



















クルマの暴走事故が相次いでいる。
最近報道されている事故はクルマが人の意に反して暴走しているのではない。
人の意に沿って暴走しているのだ。

いずれにしてもその結果は悲惨なものである。
クルマという大きな質量をもった物体が、人の出しうるエネルギー以上の力で走行しその結果、場合によっては人を死に追いやる。

少々生々しいがこれは目をそむけることのできない現実だ。
そんな危険な移動手段であるからこそ
資格のある人のみが「免じて許される」運転免許というものがあるのだ。

これを忘れてはならない。

さてそんな危険な移動手段を作り手は、危険なのはそれを運転する人の問題だとして放置してはいけない。
人はミスをする動物であるという前提に立ち、それを防ぐべく最善をつくしてクルマを作るべきだと思う。

たとえば重いハンドルを軽くする。
ユーザー受けを優先すればそうであろう。
しかしそもそもハンドルは両手で持ち、両手で回すものである。
片手の力だけでは少々辛くてもよいのだ。

片手で簡単に回せるからこそ、カーブの最中に空いた手でオーディオやカーナビを操作する。ハンバーガーを食べる。

それ自体を否定するつもりはない。
しかしハンドル操作の誤りにより人を死にいたらしめている事実を忘れてはならない。

工場ラインの機械のスイッチの多くは、安全のために片手では操作できないようになっている。
両手で別々のスイッチを押すことにより稼働するように設計されているのだ。
なぜなら事故ゼロが目標であるから。

クルマを作る側も、事故は起こるのもの!ではなくゼロを目標に世に出して欲しい。

前述のハンドルの重さについてもユーザーが軽いのがいい!と言ったとしても、簡単に迎合すべきではない。
作り手側のプロとしての「哲学」。

実際にハンドルを少し重くすることでカーブの途中で片手運転をすることは極めて少なくなるはずである。
まっすぐな見通しの良い道路でやっと初めて片手を離せる、そんな適切な重さ、それが作り手の良心であり「哲学」である。

人の命と引き換えに両手でハンドルを握る行為が面倒であるという人には最初から「免じて許す」ことをしてはいけない。

クルマの運転とはそれくらい重いものであると思う。