2012年5月31日木曜日

夜のニアミス!その2-考察


























昨日の夜のニアミス。
自分の中での事故。すごくショックだった。
コラムにも猛反省・・・と書いた。

自分なりに状況を分析し、再発防止の手立てを考えてみた。
確かに暗闇の中の無灯火の自転車は認知しにくい、というか認知できないと言った方が適切。

だがこの交差点、同じような時間帯に何度もクルマで通り、何度も左折している。
その時も状況は同じ。歩道は暗闇だ。
相変わらず歩道上の人、自転車、暗闇のを目視するが限界はある。
同じように対応し同じ判断をしてきた。
でもこんなニアミスはなかった。

???

今回腑に落ちないのはなぜあんな猛スピードで自転車が車道に出てきたのか。
「塾の帰り道か、感覚的には時速30km。ぶっ飛んでいく、といった感じだ。」とコメントした。
そんなスピードで車道に出てくる必要があるのか。
何か他に理由があるのでは?

自転車に乗った小学生が家路を急いでいた。危険予知ができていなかった。
確かに可能性はある。
ただ他人のせいにするのは簡単だ。
それでも今まではこんなニアミスなかった。

さらに思い出してみる。
「それでもクルマを止めたまま目を凝らして歩道を見る」

ン!? 
ここだ。
いつもと違う点だ。
いつもよりホンの少しだが、しっかり歩道を見ている。
歩道の確認に時間をかけているのだ。
結果として自転車を認知できなかったが、ここにいつもより長い停車時間を作った。

・・・・・。
そうか!!!
自転車に乗った小学生、私が目を凝らして歩道を見た、その一拍。
1秒か2秒かわからないが、
ウインカーを出して横断歩道前に停止したクルマの「間」をその子は見逃さなかった。
「本来なら発進するはずのクルマが発進しない。自転車が渡るのを待ってくれている!」
であれば、迷惑をかけないためにもスピードを上げてサッサと渡ろうとする。
ありがちな行為だ。
その小学生は一気にスピードを上げ、「待っていてくれているクルマに迷惑をかけまいと、急いで通過した」のだ。
危険予知ができない小学生だったのではなく、実に気転のきく小学生だったのだ。
あくまでも仮説だが、ストーリーとして成り立つ。

交通の流れの中でのあうんの呼吸、タイミングというものがある。
私は今回歩道の暗闇をいつもよりじっくり見たことで、そのタイミングを乱していたのだ。

いつもと異なる変化点。
それが、「いつもより時間をかけてじっくり目視した」ことにあったとすれば
普段通りの運転をすることが重要ということだ。

ならば今まで見えない歩道の暗闇からなぜ自転車が出てこなかったのもうなずける。
クルマが通過しようとしていたので、自転車は横断できなかっただけだ。
つまり自転車はクルマに「見られていない」ことを理解し、自ら対処していたのだ。
クルマ側からは暗闇の歩道でそのような対処をしていることを知る由もない。

自転車の歩道通行や無灯火を認めるつもりはない。
だがそれが現実ならば、それを前提に対応していかなければいけない。
その中で、安全確認をしっかり行うことは非常に重要。
でも、それと同時に廻りへの意思表示、どう見られているか。
今回、誤った判断をさせてしまった「間合い」
この配慮も非常に重要であるということだ。

今回の経験を頭に自転車に、バイクに、クルマに乗るようにしたい。
あくまで仮説としてだが、起こり得る事として・・・。












夜のニアミス!




















昨日の夜、子供をクルマで迎えに行った時のこと。
駅で子供をピックアップして一つ目の交差点、左折だ。

信号が青に変わったので前方と左側を目視。次にサイドミラーで左後方、ルームミラーで後方を確認した。
ちょうど白っぽい服を着た女性が横断歩道を渡ろうとしていたので
クルマを停止、渡り終えるのを待った。
再度ミラーで左後方を確認、続いて前方と左側を目視した。
左側の歩道は街灯もなく真っ暗。
白っぽい色のものでないと見えない。
それでもクルマを止めたまま目を凝らして歩道を見る。
少なくとも目には歩行者、自転車等の存在は確認できない。
徐にクルマを発進させようとブレーキペダルから足を離したその瞬間、
何かが左側の歩道から前方へ飛び出した!

自転車だ!

小学生。
前照灯なし。
塾の帰り道か、感覚的には時速30km。ぶっ飛んでいく、といった感じだ。

背筋が凍りついた。
ブレーキペダルを離すタイミングがコンマ何秒か早ければ間違いなく事故になっていた。
歩道を走る自転車とクルマとの交差点での事故。
注意を要する典型的な例だ。

せめてこの自転車が車道を走っていてくれていれば
たとえ歩道上でも前照灯をつけていれば
事前に目視できただろう。
そして適切な対応ができただろう。

歩道を走る自転車。
無灯火の自転車。
植え込みや看板がなくとも、夜にはまったく見えない移動体。

今回は真っ暗な歩道を時間をかけてしっかりと目視したにもかかわらず、
自転車の存在を発見できなかった。
暗闇での自分の視力の限界を目の当たりにした。
それでも事故を起こさないようにするためには?

「認知できない」=「適切な判断ができない」=「適切な対応ができない」
これはすなわち重大事故を起こすということ。
事故にならなかったのはたまたまタイミングが合わなかっただけだ。

今回のニアミスは私の中では1件の事故として、
猛反省したいと思う。






2012年5月28日月曜日

コンセプトカーが公道デビュー!




日産ニューモビリティコンセプト(日産自動車株式会社HPより)






















3月9日に本ブログにてコラム「自転車と親和性の高いクルマ」を紹介させていただいた。
写真を覚えていただいている方もおられるのではないだろうか。
コラムの中でなぜこのクルマが親和性が高いのか?を問いかけた。
今回はその答えについて。

自転車に乗られるみなさんは片側1車線の道路を通行している時、
後ろから来た車輛が自分を追い越すときの動きが、その種類によって異なることを体験されていると思う。

①原付はペースを変えることなく自転車を追い越していく。

②自動2輪もやや神経を使っているようだが原付と概ね同様。

③軽自動車はカーブ等道路の状況により、タイミングをみて比較的簡単に追い越していく。

④普通自動車は、意外と追い越しにくそうだ。対向車があったり、いないことが確認できない状態だと追い越せない。状況がクリアになって初めて対向車線にはみ出すようにして追い越していく。

⑤それ以上の車輛や大型バス、トラックともなれば、しばらくの間追い越せなかったりする。

多くのクルマのドライバーから「邪魔!」って見られている車道上の自転車。
でも上記のように車輛の種類によってた自転車を追い超すときの動きが異なる。
これはつまり自転車が邪魔なのではなく、主にクルマ自身の大きさがネックになっているということ。
それを彼らは「自転車が邪魔!」と呼ぶのだ。
自転車のサイズは昔からずっとミニマムだ。
人間の肩幅+α程度。邪魔と呼ぶには謙虚過ぎるサイズである。

そこで写真のコンセプトカーだ。
できるだけ車幅の小さいクルマ。必要なら人が2人横に並ぶのではなく縦に並ぶタンデム型だ。
このようなコンセプトのクルマなら道路上で自転車の影響を受けにくい。
つまり「自転車と親和性の高いクルマ」
これが前回のコラムの答えだ。

さて、驚いたのは本日の日経新聞。
原付と軽自動車の間に新たなカテゴリーの車輛規格を認定するとのこと。

これって上記の①②と③の間。
まさしく道路上で自転車をストレスなく追い越せる、自転車と親和性の高いカテゴリー。
そのカテゴリーの新たな「クルマ」が、つまり写真のコンセプトカーのカテゴリーのクルマがデビューするというのだ。

これにより、都市部ではより大きくハイパワーな普通車より、新たなコミューターの方が「速い」ことが認識されるであろう。
何といっても「自転車が邪魔!」とはならないカテゴリーなのだから。

願わくばEVとしてデビューしてほしい。
同時に自転車からコミューターへの乗り換えではなく、クルマからコミューターへの乗り換えが促進されるような政策が必要。
そうなって初めて環境負荷の低減につながるのである。









2012年5月27日日曜日

高速道路上における事故について-2



























NEXCO東日本、NEXCO中日本、NEXCO西日本は、コンクリート壁とガードレールが不連続な防護柵について、現行基準に適合させる等の交通安全対策を実施するとは発表した。

関越自動車道の高速バスの事故をきっかけとして、安全性の向上を図るらしい。
該当箇所はNEXCO東日本で約2400カ所、NEXCO中日本で約1000カ所、NEXCO西日本で1700カ所とのこと。

改良されることは喜ばしいことだが、現行基準に適合していなかったという部分が気にかかる。
また、上記のようなコンクリート構造物とガードレールの隙間をなくすことは、衝突事故による被害の低減には役立つが、抜本的な解決になるかどうか疑問である。

どのような考え方でどのように対応するのか、安全に対する一貫した考えのもと、応急対策だけではなく、恒久対策として設計思想の部分から今一度見直して欲しいと思う。




2012年5月26日土曜日

EVを使ってみた!その4

84.6km走行して残り24km走行可能と表示されている。
つまりトータルで108km(ノーマルモード)走行可能ということ。






















いわゆるシフトレバー。マウスのような軽い動きをする。
シンプルな運転制御の中枢だ。





























自転車コラムに4度目のEVの報告。訪問して下さった方々に申し訳ないと思いつつ、日記として想いを残しておきたいと思う。

明日クルマの修理が完了するとの連絡。
リーフとの生活もいよいよ明日まで。EVの報告もいよいよ終盤だ。

さてハンドリング。
リーフというクルマ、交叉点やコーナーでの挙動がものすごく素直。
ハンドル操作に対するノーズの動きが、極めて自然である。
クルマの動きが軽快なのに長時間乗っても疲れない。

その軽快なハンドリングに相反する走行中の安定感。
この安定感を得るためにバネやダンパーをやみくもに固めた印象はない。
足回りの動きはあくまでソフト。それなのにロールは適度で安心感が高い。

EVってエンジンという重い部品がないため、前後オーバーハングの重量が極めて軽い。
対してバッテリーという重い部品がホイールベース中心の低い場所に位置している。

つまり

オーバーハングの重量が軽い=ハンドリングの軽快感
バッテリー重量による低重心=乗り心地の良さと安定感

これらがそのまま挙動に表れていると言っていい。
これに大トルクを受け止める足回りのマナーの良さが加わる。

プリウスも良いクルマだったが、サスペンションについて言えば
路面の微妙なアンジュレーションに常にヒョコヒョコ反応し、フラットな乗り心地は得られなかった記憶がある。(現在は改良されているかもしれない)

対してリーフは完全なフラットライドだ。
ドイツ車のような圧倒的ボディ剛性と締まったサスペンションによるソリッドな乗り心地ではなく、
フランス車のようなしなやかでやさしい乗り心地に近い。
ヨーロッパ車の乗り心地と同質のものだ。
タイヤもトレッドの固い省燃費タイヤをはいているにもかかわらず、しっとりとやさしい乗り心地を実現している。
そういえば、シートのウレタン(スポンジ)ももっちりと密度が高く、良い時期のフランス車のよう。
実に大人の味付け。個人的に好きなタイプの乗り心地だ。

家内も子供たちも、想像以上のEVの出来に驚いている様子。
トルクを得るためにエンジン回転数をコントロールするストレスとは無縁の、アクセル開度によって自由にトルクを得ることができるモーター。
しかも無音、無振動の極めて高いマナーを伴っている。
まさしく女性に受け入れられるコミューターではないか。

走行可能距離は、当初予想の150km程度から100km程度に落ちそう。
自宅周辺の坂ばかりの地形とストップアンドゴーの繰り返しであるという市街地の環境を考慮すると、これが実態かもしれない。

次回はデザインと実用性についてアップ、総括として締めくくりとしたいと思う。
課題が出てきそう。







2012年5月24日木曜日

EVを使ってみた!その3


最初何ともコメントできなかったこの顔は「ワニの赤ちゃん」
何日か共に生活して少しカワイイと思うようになった?





内装はベージュ基調でルーミー。やさしくて非常に明るい。
奇をてらわずに、落ち着いた上質な「未来」を感じさせてくれる。























なんだか、自転車ではなくクルマのコラムになってきたここ最近。
でもEVは自転車の仲間だ。
そう思ってもう少しだけ付き合ってもらえればと思う。

さて、クルマに乗り込んでみる。
駐車時にすでにパーキングブレーキのスイッチをオン、ギアのパーキングボタンもオンになっているので、スタート時に行うことは、ブレーキを踏んでスタートスイッチを押すことだけだ。

パソコンが立ち上がるようにメーターとディスプレイが表示されスタンバイ。
ディスプレイが立ち上がる感じはウィンドウズのようだが、立ち上がりにかかる時間はi-padだ。

そのままセンターにあるシフトノブ(まるでマウスのよう)を右手前へ。
これでDレンジ。クリープはほとんどなく、そのままアクセルを踏むとトルクが立ち上がる。

アクセルペダルは常に少しずつ踏む感じだ。
それ以上踏むと、体をシートに押し付けられるような加速。
普段は不要かもしれない。
ためしにアクセル開度を高めると、もりもりとトルクが立ち上がる。
クイィーーン!というわずかな音に上質な滑らかさを加えたようなタッチ。(わかりにくい比喩ですみません)
タイヤが空転したり、サスペンションが暴れたりすることなく、
前輪はそのトルクを何事もなく受け止め、足回りのマナーはすこぶる良い。

デジタルメータが速度の上昇をめまぐるしく伝え、ルームミラーのクルマは点になる。
そんな状況でも音も振動もほとんどゼロ。室内は何事もなかったかのよう。
超高層ビルの高速エレベーターを想像してもらうといいかもしれない。
上昇し始めにぐっとGがかかり、あとはただフロアを示すデジタル表示がめまぐるしく変わっていく。
あの感覚。時空間をワープするような感覚。
景色だけが後ろへ飛んでいく!
そんな光景がドライバーズシートで繰り広げられる。

さて、マウスを再度右手前に引くとエコモード。
アクセル開度に対しトルクが控えめについてくる。
結果としてアクセル開度を高めるのだが、やはりトルクの立ち上がりは控えめ。
もともとイメージの中にあつEVはこんな感じ。
控えめといっても交通の流れに乗るにはこれで十分。
加速がなめらかな分、パッセンジャーはこの方が疲れないかもしれない。

信号待ちはもちろん、走行中においてもモーターの音も振動も耳に届かない。
でも車外では安全のためわずかに「キューン」という音が発生させているとのこと。

驚いたのはこの静けさの中でもロードノイズと風切音が気にならないことだ。
比較的路面状況が良いこと、高速道路を走行していないことの条件つきだが、
エンジン音ゼロの静かなEVで、これらが極めて良くコントロールされている。

ドライブモードでアクセルオフ。控えめな減速感。
ブレーキのタッチも通常のクルマとほとんど変わらない。
だがエコモードにするとエンジンオフで少し減速感が大きくなる。
ブレーキのタッチも「発電している~」って感じる。
だが不快感はない。

自宅前に戻り、マウスを右前方へ。
ギアがバックに入りリーフをスルスルと駐車位置へ収める。

最後はマウス頭のパーキングボタンを押し、
センターのパーキング「スイッチ」を引く。
最後にスタート時と同じスイッチを押すと、すべてがオフ。
シャットダウン完了!だ。

クルマのキーをオフにした時のエンジンの音や振動から解放されたあの静けさと独特の感覚。
「ふーうっ!」というため息と疲労感。
それらから解放されたあの感覚。
そうなのだ。クルマの運転って、音や振動との格闘だったのだ。

対するEV。そこに格闘などない。モーターとマウスで時空間を移動しているだけだ。
この瞬間はクルマではなく未来のコミューターを感じる瞬間でもある。
i-padの電源をオフにした。
そんな感覚。

次回は足回りとデザイン等に触れてみようと思う。



2012年5月22日火曜日

EVを使ってみた!その2

外観の第一印象はフツーなのだが、
ディテールのデザインはものすごくこだわっている。





















EVを借りて2日目、アップしたいことがたくさんあって何から報告していいのかわからない。
それはそうだ。
何から何まで異なるのだ。

ありきたりだが、まず走り出しの第一印象から。

モーターのトルクってエンジンと比較にならないと言える。
発進から高速まで、よどみなくトルクが発生する。
しかも音も振動も感じないまま。
これはもう、異次元の感覚、未来のコミューターである。
以前、ハイブリッドカーに乗ったときも未来を感じたが、
エンジンがかかった時点で目が覚めた。

EVは目が覚めない。
ずっと未来のクルマだ。
その未来のクルマを、誰もがフツーに生活の足として使える時代がきている。
すばらしいことだ!

CO2も音も振動も熱も、すべてゼロまたは最低限。
エネルギーの源となる電気をユニットの中に封じ込めて99.9%モーターの回転、推進力に変える感覚。

逆にCO2、排気ガス、音、振動、熱というロスだらけのエンジンって
いったいどれほど効率の悪いものだったのか。
燃料のうち、どれだけが推進力に変えられるかを考えると、比較にならないだろう。
しかもそのロスってほとんどが不要なもの、有害なもの。
その出で立ちがモーターと内燃機関とではまるで異なる。

この静けさは自転車のもの。
この効率の高さは自転車のもの。

まずこの感覚にやられてしまった。
課題はいかにクリーンな生い立ちの電気を使うかだ。

感覚的な内容で大変恐縮だが、次回からは具体な内容をアップしたいと思う。


2012年5月21日月曜日

EVを使ってみた!その1

インパネに残りの走行可能距離数(キロメートル)が表示される。




















革新的であるはずのEVがフツーのクルマの格好をしているのがもったいないと思う。




















昨日のクルマのトラブルで、修理が終わるまでの間、レンタカーを借りることになった。
何を借りようかと考えた結果、自転車乗りとしては環境負荷の小さいEVをチョイスすることは当然の流れ。

そこで日産リーフだ。
そもそもEVがクルマの基本性能の部分だけではなく、充電という作業も含め日常生活においてフツーに使えるのか?興味あるところだ。

使用状況によるが、フル充電でおおよそ150キロメートルの後続距離。
その走りはどうだろうか。
充電施設の設置状況は?
ストレスなく使えるのだろうか?
急速充電の使い勝手は?

等々。

短期間ではあるが可能な範囲でレポートをアップしていきたいと思う。







2012年5月20日日曜日

土曜の夜のトラブル






















土曜日の夜、家族で横浜市内へ出かけての帰りだった。
クルマのオイルプレッシャーランプが点灯、アラームが鳴る。
何とか家までもってくれ!と思った矢先、幹線道路の赤信号の交叉点。
青に変わって発進しようとしたら、クラッチが切れずローに入らない。
油圧がアウトだ。
すぐにハザードを出し、何度か試したが、やはりローに入らない。
片側2社線の幹線道路の追い越し車線で「カメ」となってしまった。

すぐに家族全員をクルマから降ろし、歩道へ避難させる。
私は、路上にて携帯電話でロードアシストに連絡しながら、
後方から高速で迫りくるクルマを走行車線に誘導。
走ってくるクルマの速度は80~100キロ程度だろうか。
路上にいると恐ろしい速度だが、第三者の方に事故を起こさせるわけにはいかない。
発煙筒に火をつけクルマの100m後方の路上ヘ置いた。
とたんに後方からくるクルマの対応が変わる!
発煙筒の効果は非常に高い。

発煙筒のさらに後方に立ち、引き続き携帯電話でロードアシストのお願をしながら、
ビュンビュン迫るクルマを走行車線へ誘導、頭を下げ続けた。

走ってくるクルマもハザードを「路上駐車」ととらえるのか、
怪訝そうに突っ込んでくる。
中には発煙筒を避けて走行車線に移ってれたにもかかわらず、
発煙筒を過ぎたらすぐに追い越し車線へ戻り、
ハザードを出してトランクを大きく空けた故障車の後ろに着くクルマも!
追いかけて事情を説明して走行車線に移動してもうらう。

レッカー車が到着するまで55分との回答。
その間ずっと無事故でクルマを誘導しつ続けられるか?と考えた5分後、発煙筒が消えた。
まずいなと思い誘導していたら、対向車線に赤色灯を着けた覆面パトカーが走ってきた。
知ってか知らぬかそのまま通り過ぎようとしたので、
対抗車線に向かい、そのクルマを追いかけた。

「発煙筒お借りできませんか?」
「いやァー持ってないなァ」

ならば赤色灯をつけて、クルマの後方で車線をブロックしてれるとた助かるのだが、と思ったが、あまり期待できそうにないのでそれ以上頼まなかった。

その後、一台の軽自動車が私のクルマの先に止まり、ドライバーがこちらに向かってきた。
「こんなところに停めると危ないぞ!」
「すみません、自走不能なんです!申し訳ありませんが、手を貸していただけませんか?」
「なに?」
「私がクルマを押しますので、ハンドルを操作してもらえませんか?」
「わかった。じゃあ私が押すから君がハンドルだ」

信号が赤になり、クルマの流れが止まったタイミングを見て
クルマに乗りこみゆっくりとクルマを左折させ、脇道の路肩に停めることができた。
安全な場所にクルマを移動できて思わず体の力が抜けた。

「助かりました。ありがとうございました。」
「いや、トラブルの時はお互い様だ。」 
そう言い残してドライバーはクルマでその場を去った。
たくさんのクルマが通り過ぎる中、声をかけたくれたのは彼一人だけだった。

その後の作業は保険会社とレッカー車手配フォローと自分たちの移動用のタクシーの手配。
特に問題のない作業内容だ。
一連の作業を終え、自宅に向かうタクシーの中でふと思い出した。
以前ドイツでレンタカーでトラぶったとき、後続の清掃車が事故が起きないよう車線をブロック、フォローしてくれた。

これが日本だと、トラブルの瞬間に居合わせた後続のクルマにさえ、
トラブルなよ!邪魔っ!ていう対応。避けて通ってもらうので精一杯。
この差は何なんだろう。

日本ってそもそもトラブルってほとんどない国なんだろうと思う。
だからトラブルの時の対応や、何が起きているかが理解できないのだろうと思う。
そうでなければ、ただの路上駐車でハザードなんて使わないだろう。
緊急事態のために取っておくだろう。

トラブルの原因を作ったのは私の不注意。これは事実だ。

ただ、そうだとしても現在の使われ方ではハザードランプの上にもう一種類、
「本物の」ハザードランプが必要だと思った。











2012年5月19日土曜日

路上の「透明人間」


























このコラムを読んでいただいている自転車乗りの方、
ご自分が道路上で「透明人間」になったと感じたことのある方、多いのではないだろうか。

道路上を自転車で走っているとき、脇道から出てこようとするクルマのドライバーと目が合う。
あっ見られている!はずなのに、クルマは目の前に出てきて、進路を阻まれる。
まるでドライバーが自分ではなく、自分の後ろにいる別のモノを見ていたのかなと思ってしまう。
まったく見られていないような不思議な感覚。
まるで自分が「透明人間」になったかのような感覚。
でもクルマのドライバーは実際に自転車を見ている。

実はクルマのドライバーが路上で自転車を認知した次の瞬間、
自転車=歩行者として処理され完結する。
それで終わり。情報はなくなってしまうのだ。

これは長年、歩道を走るママチャリの歴史とともに、親の代から刷り込まれたものだ。
自転車の映像が脳で自動的に歩行者として処理される。
その結果、どれだけスピードを出していようが、きわどいタイミングであろうが、
クルマがその前方に出てくるのだ。
結果、事故が起きる。

事故にあったドライバーに、なぜそのタイミングで出てきたのか聞いてみると
たぶん明確な答えは返ってこない。
自転車=歩行者だから出てきたのだ。
その判断になぜはない。自動処理だからだ。
せいぜい、「自転車スピード出しすぎだろう!」という言葉。
でもそう判断するならクルマはそのタイミングで出てきてはダメだ。
正しい判断がまったくできていない。
自転車=歩行者という自動処理システムが働いている。

さて、道路上のクルマのドライバーは自転車だけを見て走っているのではない。
他のクルマの情報、バイクの情報、道路状況等、常に多くの情報を処理している。
そのために関係のない情報をどんどん切り捨てる。
そのひとつが歩道上の歩行者、そして自転車なのだ。

では自転車が安全に道路上を走るためにはどうすればよいか。
「自転車=歩行者」という自動処理をさせないことが重要となる。
そのためには自転車の映像にならないようにする、
つまりこれまでの自転車(=ママチャリ)と異なる映像に変身することが必要なのだ。

そのためには、例えば

・車道を走る(ルールでもある)
・ヘルメットを被る
・ロードバイク、クロスバイク、リカンベントに乗る
・サングラスをかける
・昼間ライトを点灯する(点滅ではなく点灯が望ましい)等々。

できるだけママチャリから離れた映像に変身する。

その結果、ドライバーは自転車=歩行者という自動処理ができなくなる。
するとドライバーの脳は「この移動体は何者か?」を判断する指令を出す。
そしてそのための情報を集める。
移動体の位置、速度、走っている場所、格好・・・。
こうしてドライバーが初めて正しい情報を得て、正しい判断ができるようになる。

路上の「透明人間」にならないことが重要なのである。


2012年5月17日木曜日

客待ちタクシーのアイドリングって?


























飲み会があったので会社に自転車を置いて地下鉄で帰宅。
最寄の駅で降りるとタクシー乗り場の前を通過する。
いつも何台ものタクシーが客待ちをしているけど、
ずーっとエンジンをかけっぱなし。
お客はめったにいないので、タクシードライバーはクルマの外に集まってタバコを吸ったり談笑したり。
来る日も来る日もその間も誰も乗っていないタクシーはすべて見事にエンジンが回っている。
いったい誰にどんなメリットがあるのだろう?

人を運ぶときクルマを走らせる。
そのときに燃料を使い、CO2を排出するのはまだ仕方がない。
いや、本当はそれだって自転車の距離だろう!って言いたい。

でも当分来ない客待ちのときにこの状態は何なんだろう。
その間に消費されるLPガスと排出されるCO2、熱と排ガス。
限りある化石燃料を使用するのではなく、捨て続ける。

ものすごく心が痛む。
せめてそのアイドリングがすべて無駄になるのではなく、
何か次世代の新たな技術へと形を変えてくれることを祈りたいと思う。







2012年5月15日火曜日

塾の「お迎え」に遭遇



















今日の自転車通勤。再び帰り道の話。
自宅から約2キロメートルの駅の付近。
塾に通う小学生のお母さんたちがクルマで子供たちをお迎えの時間だ。
自転車通勤の途中でこの時間帯にこの場所でこの光景に遭遇する。

できるだけ塾に近いところで待機と考えてか、いくつかある塾の付近の道路脇はクルマで一杯だ。
横断歩道の前後までギッシリ。
おかげで、横断歩道を渡ろうとする歩行者が見えない。
特にミニバン系だと窓越しにも人の有無が確認できないため、
横断歩道前で一旦停止するのだが、それでも見えなかったりする。
横断歩道上に駐車(失礼、停車ですね)していることもしばしば。
すでにエアコンが必要なのかエンジンはかけっぱなし。
排気ガスと熱気!
そんな状況にしておいて、周りの人通り、自転車通り、クルマ通りなど目もくれず、
ママたちは車内でずっと携帯電話に勤しんでいる!

塾で勉強して希望する学校に入ろうとすることに口出しするつもりはない。
けれど、子供が身につけておくべき教育の順序が異なりやしないか。
今のままだと将来子供たちは志望校には入れるかもしれないが、
同時に横断歩道上に平気でクルマを駐車する教養のない大人になるだろう。
人が生きていく上ですごく大事な部分、人・社会とのかかわり。
学校や塾の「勉強」では教えてくれない、もっと基本的な部分。
その部分にすごく欠けている気がするのだ。
私自身できているとは決して言えない。
けれど、まずその部分を子供に教える。
塾の勉強はそれからだ。

クルマで子供を迎えにいく、という小さなことでも教えるべきことはあるだろう。

「駐車場所が少しはなれても、それはクルマに乗る人の都合。
横断歩道前後は見通しがきくよう、パパとママはそこにはクルマは止めない。
あなたが夜遅く一人で移動することが心配だから、パパとママはクルマであなたを迎えに来ている。
同じように、道路を渡る人たちの安全も大事。
あなたを迎えに来ることで、他の人が危険にさらされてもいい?
だめだよね!
だからパパとママは少し離れた場所にクルマを止めているかもしれないけれど、
それはみんなの安全のため、当たり前のこと。ルールきちんと守る。これは最低限のこと。

駐車している時はエンジンはストップ。
排気ガスや炭酸ガスの排出量を抑えるため。
それによって少しでも環境負荷を小さくして、地球温暖化を抑制する。
少しくらい暑いと感じても、窓をあけたり、車外に出ていれば大丈夫。

だってそうでしょ。そうでないと外を歩いている人や自転車に乗っている人はどうなるの?

一台のクルマがアイドリングしていると、その排気ガスで後ろのクルマも
窓をあけられないでしょ。すると結局他の人も窓を閉め切ってアイドリング。
連鎖してみんな迷惑。
だから一人ひとりの行動がすごく大事。
自分ひとりだけならいい、では終わらないんだ。
もちろん歩いている人や自転車に乗っている人が一番迷惑を被る。
排気ガスや炭酸ガスを出さないように自分の足で頑張っている人が
一番最初に苦しむのはおかしいでしょ。

最後に、あなたがもう少し大きくなって、一人で安全に移動できるようになったら、
そのときは自分で自転車や電車を使って通いなさい。

わかった?
じゃ、塾でしっかり勉強してきなさい!」







2012年5月13日日曜日

警察のパトロール



























一昨日の自転車通勤の帰り道。
先日、信号待ちで自転車に乗る高校生といっしょになった交差点。

今度は歩道の上をヘッドフォンをして、携帯電話を見ながら片手運転の高校生が
信号を無視して自転車で走っていく。

公道における不安全行為は本人の自爆事故だけでなく、他人をも巻き込む可能性が高い。
本人の勝手では済まされない。
でも咄嗟のことで、注意する間もなかった。

ところが信号が青になって進むとパトロールカーにすれ違った。
ヘッドフォン、携帯、信号無視の自転車の方向に走っていく!
良かった!指導してくれる!

と思って見ていると、
パトロールカーはその歩道を走る、ヘッドフォン、携帯電話併用の片手運転の自転車に
何の指導もせずに通り過ぎた。

指導、注意しないのは当事者にその行為を「OK」と認識させる可能性が高い。
そんなパトロールなら止めて欲しいと思う。




2012年5月11日金曜日

自転車に乗る男性限定!



























暖かくなってすね毛の処理をする季節がやってきた。
自転車通勤で七分丈のパンツをはくため、毎年この時期に膝から下の毛を剃る。

さて一通り処理をした後、バスタブに足を入れると恒例の不思議な現象が・・・!

「バ、バスタブにお湯がないっ!」

正確に言うと、お湯の存在、水面の位置を足で感じなくなるのだ。
つまりお湯がどこまで入っているのか、目で見ないとまったくわからない。

なんとも不思議な感覚なのだ!

すね毛があるために、お湯の水面の位置を足の皮膚表面ではなく、
すね毛の動きで感じるようになっているのだと思う。
そのため皮膚表面がお湯を感じる感覚が鈍くなっている?

毎年この不思議な感覚を味わうのが、密かな楽しみ・・・。

女性の方々、すみません。






2012年5月9日水曜日

日本「発」のクルマ























気温が上がり自転車乗りにとっては良い季節になってきた。
もうしばらくすると大汗をかく季節だ。

すでに窓を開けているクルマに交じってエアコンをいれているクルマもみられる。
信号待ち、隣に並んだクルマのエンジンルームからの熱気が熱い!季節の到来だ。

クルマという乗り物。
それ自体を否定するつもりは毛頭ない。
物流の大きなウェイトを占める重要な交通手段。
ただそのハードとしてのコンセプトはそろそろ大きく見直す時期にきていると思う。

これから自転車の車道走行が当たり前になる。
すなわち生身の人間がクルマのすぐそばに位置することになる。

クルマってそもそも西洋文化の中で生まれてきたもの。
日本で生まれていたらまた異なった形になっていたかもしれない。
なぜなら日本の文化って、家の中では少々うるさくして汚くしても外では他人様に迷惑をかけないように!の文化ではないかと思う。

クルマって汚いもの、不要なものはすべて外。
排気ガス、熱、音、風すべて外だ。
翻ってクルマの室内。
驚くほど静かで、空気もきれい。
花粉まで除去されていたりする。
まったく逆さま。
優先順位が異なるのだ。

排気ガスも十分きれいだと主張するなら、そろそろ室内へ循環していただけないか。
少なくともクルマの「後ろ」はないだろう。
「前」だ。

ゴミは出した人の責任において処理する。
量を減らしたからいいだろう!というものではない。
ましてそういうモノを他人様の顔や口元へ、というのはいかがなものか。

安全と同様、環境についてもクルマは車内と車外のバランスをとる時期にきている。
クルマがクルマとしてこれからも生き残っていくために、クルマ好きの一人としてぜひ見直してほしいと思う。

日本文化由来の日本人の感性による新たなコンセプトのクルマ。

時代も人も、そしてクルマも変わっていくのだ。




2012年5月6日日曜日

電動アシスト自転車の未来



2011年東京モーターショーに出展された
ヤマハ製電動アシスト自転車「PAS WITH」
 


























以前に電動アシスト自転車を見かける機会が大きく増えたとコラムに書いた。
今回言いたいのは機会が増えただけでなく彼らの走る距離についてだ。
これまで通勤途中で見かける電動アシスト自転車の台数は増えても、
一緒になって走ることはなかった。
つまり同じルート上であっても彼らの走る距離は短かったのだと思う。
ところが最近は同じルート上を一緒になって走るケースが多い。
つまり電動アシスト自転車の移動距離が伸びているのだ。

本来ロードバイクと電動アシスト自転車では走行速度が異なるのだが、
街中では信号無視をする自転車が多かったり、上り坂が多かったりで
結果として、電動アシスト自転車と似たようなペースで走ることになる。

距離にすると10km以上走っているアシスト自転車も多いのではないだろうか。
バッテリーの容量増加や回生ブレーキなどの技術で航続距離が長くなり、またアシスト量が増え、ラクに走れることを背景に距離を伸ばしている。

体力面や積載能力の面でも極めて有利な電動アシスト自転車。
以前に電動アシスト自転車は自転車の替わりだけではなく、新たなカテゴリーを切り開いていけるとコメントした。
それは主に自転車に乗る人からの乗り換えではなく、クルマに乗る人からの乗り換えを喚起する商品、カテゴリーである。そうなって初めて環境負荷の低減に貢献できるのである。




2012年5月4日金曜日

携帯用空気ポンプ





















































先日のパンク修理でその実力を再確認した携帯用空気ポンプ。

「TOPEAK MORPH mini」

使用するときには写真のように本来の空気ポンプの形状に近づく。

つまり、
「ポンプ本体を地面に垂直に立て、足で押さえて安定させ、地面を反力としてポンプ取っ手を押し下げる。」

という一連の作業が可能な携帯ポンプである。

そのための工夫が小さな本体に散りばめられている。
おかげで、フツーに7~8BARという高圧まで空気を入れることができる。

ポンプの大きさについてなら、さらに小さいポンプは数多くあるが、
必要とされる空気圧まで空気を送れなかったり、作業に手こずったりするケースが多い。

携帯用ポンプの候補の一つとしてぜひご検討いただければと思う。




2012年5月3日木曜日

ビンディングシューズ





























3年以上お世話になったシューズを新しいシューズに取り換えることにした。
何度も清掃し何度もすり減ったクリートを交換しほぼ毎日使い続けてきた。
何のトラブルもなく足にフィットし続けてくれたシューズ。
できればもっと使っていたかった。

けれど踵内側部分の生地が破れて中から軟質ウレタンが露出。
これでは走行中にいつ足を固定する機能を果たさなくなるかわからない状態。

そこで注文したシューズは、不満のなかったシューズSIDIの2012年版。
SIDI GENUS 5 プロ メガ
ホワイトカラーがお気に入りだったけど今回はブラックを注文。
本当はオールブラックがいいのだけれど甲高、幅広に対応しているメガというサイズだと上記のようなブラック+チタニウムの配色になるらしい。

履いてみると相変わらず心地よいフィット感。
ソールにカーボンが配合され、剛性もアップしているとのこと。

またシューズのテンションの調整方法も進化。
これまではリリースするのにレバーを押し込む操作を行うのだが、これが少々やりにくかった。
新型のリリースレバーは引いて対応。
またテンションをかけすぎたとき、一度リリースしてからテンションをかけ直すのだが、これがリリースせずに1ノッチずつテンションを緩めるレバーが新設された。

来週月曜日の自転車通勤が楽しみだ!




2012年5月1日火曜日

高速道路上における事故について



















関越自動車道において、バス運転手の居眠りとみられる原因から悲惨な事故が起きたことはご存じの通りだ。
防音壁へ高速のまま激突、その防音壁がバスの車体を切り裂いた。
結果、多くの方が犠牲になられた。

もちろん運転手の居眠りが事故の直接の原因であることは否定できない。
しかしそもそもクルマが高速で走ることが明白である高速道路である。
道路上の構造物や設備にクルマが高速で接触することは想定しておく必要がある。

現在のクルマはフラットな壁に激突したとき一定の安全性を確保するよう設計されている。
ところが今回のような防音壁の端部に接触した場合、
フラットな面に接触する場合と異なり、極めて高い応力がその接触部分に集中する。
このような状況においてその安全性をクルマ側だけで確保するには無理がある。

過去にも工事中のバリケードとして用いる鉄パイプの端部にクルマが突っ込み、
パイプがクルマのエンジンルームを通過、室内の助手席シートを貫いたケースもある。
道路上に多くみられる工事用設備が場合によっては凶器になるという典型的な例である。
こうなるとシートベルトをしているだけでは乗員の安全を確保できない。

そうであれば局部荷重のかかるような接触を防止する設計が設備側に必要になる。
そこでドイツのアウトバーンだ。
ガードレールの端部が原則として地面に埋められている。
つまり接触したときに荷重が集中する箇所を路上から排除しているのだ。

ではこの部分にクルマが突っ込むとどうなるか。
その状況からクルマがガードレールに乗り上げ転倒する可能性があることは容易に想像がつく。
しかしそのような場合においてもクルマは一定の安全性が確保されているのだ。
つまり転倒時においてもキャビンの生存空間が確保され、シートベルトを装着していれば一定の安全性が確保されるということ。

今回の事故の教訓として、責任の所在を明確にすることで終らせるのではなく、直接的原因である居眠り防止のためのソフト面はもちろん、クルマ、道路設備双方のハード面を含めた、トータルでの安全性のレベルアップにつなげてほしい思う。