2012年7月3日火曜日

作り手側の「哲学」



















クルマの暴走事故が相次いでいる。
最近報道されている事故はクルマが人の意に反して暴走しているのではない。
人の意に沿って暴走しているのだ。

いずれにしてもその結果は悲惨なものである。
クルマという大きな質量をもった物体が、人の出しうるエネルギー以上の力で走行しその結果、場合によっては人を死に追いやる。

少々生々しいがこれは目をそむけることのできない現実だ。
そんな危険な移動手段であるからこそ
資格のある人のみが「免じて許される」運転免許というものがあるのだ。

これを忘れてはならない。

さてそんな危険な移動手段を作り手は、危険なのはそれを運転する人の問題だとして放置してはいけない。
人はミスをする動物であるという前提に立ち、それを防ぐべく最善をつくしてクルマを作るべきだと思う。

たとえば重いハンドルを軽くする。
ユーザー受けを優先すればそうであろう。
しかしそもそもハンドルは両手で持ち、両手で回すものである。
片手の力だけでは少々辛くてもよいのだ。

片手で簡単に回せるからこそ、カーブの最中に空いた手でオーディオやカーナビを操作する。ハンバーガーを食べる。

それ自体を否定するつもりはない。
しかしハンドル操作の誤りにより人を死にいたらしめている事実を忘れてはならない。

工場ラインの機械のスイッチの多くは、安全のために片手では操作できないようになっている。
両手で別々のスイッチを押すことにより稼働するように設計されているのだ。
なぜなら事故ゼロが目標であるから。

クルマを作る側も、事故は起こるのもの!ではなくゼロを目標に世に出して欲しい。

前述のハンドルの重さについてもユーザーが軽いのがいい!と言ったとしても、簡単に迎合すべきではない。
作り手側のプロとしての「哲学」。

実際にハンドルを少し重くすることでカーブの途中で片手運転をすることは極めて少なくなるはずである。
まっすぐな見通しの良い道路でやっと初めて片手を離せる、そんな適切な重さ、それが作り手の良心であり「哲学」である。

人の命と引き換えに両手でハンドルを握る行為が面倒であるという人には最初から「免じて許す」ことをしてはいけない。

クルマの運転とはそれくらい重いものであると思う。








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