2012年5月31日木曜日

夜のニアミス!その2-考察


























昨日の夜のニアミス。
自分の中での事故。すごくショックだった。
コラムにも猛反省・・・と書いた。

自分なりに状況を分析し、再発防止の手立てを考えてみた。
確かに暗闇の中の無灯火の自転車は認知しにくい、というか認知できないと言った方が適切。

だがこの交差点、同じような時間帯に何度もクルマで通り、何度も左折している。
その時も状況は同じ。歩道は暗闇だ。
相変わらず歩道上の人、自転車、暗闇のを目視するが限界はある。
同じように対応し同じ判断をしてきた。
でもこんなニアミスはなかった。

???

今回腑に落ちないのはなぜあんな猛スピードで自転車が車道に出てきたのか。
「塾の帰り道か、感覚的には時速30km。ぶっ飛んでいく、といった感じだ。」とコメントした。
そんなスピードで車道に出てくる必要があるのか。
何か他に理由があるのでは?

自転車に乗った小学生が家路を急いでいた。危険予知ができていなかった。
確かに可能性はある。
ただ他人のせいにするのは簡単だ。
それでも今まではこんなニアミスなかった。

さらに思い出してみる。
「それでもクルマを止めたまま目を凝らして歩道を見る」

ン!? 
ここだ。
いつもと違う点だ。
いつもよりホンの少しだが、しっかり歩道を見ている。
歩道の確認に時間をかけているのだ。
結果として自転車を認知できなかったが、ここにいつもより長い停車時間を作った。

・・・・・。
そうか!!!
自転車に乗った小学生、私が目を凝らして歩道を見た、その一拍。
1秒か2秒かわからないが、
ウインカーを出して横断歩道前に停止したクルマの「間」をその子は見逃さなかった。
「本来なら発進するはずのクルマが発進しない。自転車が渡るのを待ってくれている!」
であれば、迷惑をかけないためにもスピードを上げてサッサと渡ろうとする。
ありがちな行為だ。
その小学生は一気にスピードを上げ、「待っていてくれているクルマに迷惑をかけまいと、急いで通過した」のだ。
危険予知ができない小学生だったのではなく、実に気転のきく小学生だったのだ。
あくまでも仮説だが、ストーリーとして成り立つ。

交通の流れの中でのあうんの呼吸、タイミングというものがある。
私は今回歩道の暗闇をいつもよりじっくり見たことで、そのタイミングを乱していたのだ。

いつもと異なる変化点。
それが、「いつもより時間をかけてじっくり目視した」ことにあったとすれば
普段通りの運転をすることが重要ということだ。

ならば今まで見えない歩道の暗闇からなぜ自転車が出てこなかったのもうなずける。
クルマが通過しようとしていたので、自転車は横断できなかっただけだ。
つまり自転車はクルマに「見られていない」ことを理解し、自ら対処していたのだ。
クルマ側からは暗闇の歩道でそのような対処をしていることを知る由もない。

自転車の歩道通行や無灯火を認めるつもりはない。
だがそれが現実ならば、それを前提に対応していかなければいけない。
その中で、安全確認をしっかり行うことは非常に重要。
でも、それと同時に廻りへの意思表示、どう見られているか。
今回、誤った判断をさせてしまった「間合い」
この配慮も非常に重要であるということだ。

今回の経験を頭に自転車に、バイクに、クルマに乗るようにしたい。
あくまで仮説としてだが、起こり得る事として・・・。












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