2012年5月19日土曜日

路上の「透明人間」


























このコラムを読んでいただいている自転車乗りの方、
ご自分が道路上で「透明人間」になったと感じたことのある方、多いのではないだろうか。

道路上を自転車で走っているとき、脇道から出てこようとするクルマのドライバーと目が合う。
あっ見られている!はずなのに、クルマは目の前に出てきて、進路を阻まれる。
まるでドライバーが自分ではなく、自分の後ろにいる別のモノを見ていたのかなと思ってしまう。
まったく見られていないような不思議な感覚。
まるで自分が「透明人間」になったかのような感覚。
でもクルマのドライバーは実際に自転車を見ている。

実はクルマのドライバーが路上で自転車を認知した次の瞬間、
自転車=歩行者として処理され完結する。
それで終わり。情報はなくなってしまうのだ。

これは長年、歩道を走るママチャリの歴史とともに、親の代から刷り込まれたものだ。
自転車の映像が脳で自動的に歩行者として処理される。
その結果、どれだけスピードを出していようが、きわどいタイミングであろうが、
クルマがその前方に出てくるのだ。
結果、事故が起きる。

事故にあったドライバーに、なぜそのタイミングで出てきたのか聞いてみると
たぶん明確な答えは返ってこない。
自転車=歩行者だから出てきたのだ。
その判断になぜはない。自動処理だからだ。
せいぜい、「自転車スピード出しすぎだろう!」という言葉。
でもそう判断するならクルマはそのタイミングで出てきてはダメだ。
正しい判断がまったくできていない。
自転車=歩行者という自動処理システムが働いている。

さて、道路上のクルマのドライバーは自転車だけを見て走っているのではない。
他のクルマの情報、バイクの情報、道路状況等、常に多くの情報を処理している。
そのために関係のない情報をどんどん切り捨てる。
そのひとつが歩道上の歩行者、そして自転車なのだ。

では自転車が安全に道路上を走るためにはどうすればよいか。
「自転車=歩行者」という自動処理をさせないことが重要となる。
そのためには自転車の映像にならないようにする、
つまりこれまでの自転車(=ママチャリ)と異なる映像に変身することが必要なのだ。

そのためには、例えば

・車道を走る(ルールでもある)
・ヘルメットを被る
・ロードバイク、クロスバイク、リカンベントに乗る
・サングラスをかける
・昼間ライトを点灯する(点滅ではなく点灯が望ましい)等々。

できるだけママチャリから離れた映像に変身する。

その結果、ドライバーは自転車=歩行者という自動処理ができなくなる。
するとドライバーの脳は「この移動体は何者か?」を判断する指令を出す。
そしてそのための情報を集める。
移動体の位置、速度、走っている場所、格好・・・。
こうしてドライバーが初めて正しい情報を得て、正しい判断ができるようになる。

路上の「透明人間」にならないことが重要なのである。


2 件のコメント:

  1. 透明人間という表現、絶妙です。目が合ったのに出てくるドライバーの心理も「なるほど」と納得です。でも対応策の
    ・車道走行
    ・ヘルメット着装
    ・クロスバイク、リカンベント乗車
    ・昼間ライト(ただし点滅)
    を行なっていますが、なかなかゼロにはなりません。40年にわたる歩道走行政策のせいでしょう。
    自転車は車道走行こそが安全で、クルマ・自転車・歩行者(もちろんオートバイや路面電車、車椅子など全ての道路利用者含む)の誰にとっても最善だということ。それを全ての道路利用者に知らしめるべく、知った者から実践・啓発していく必要があると思います。

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    1. 同感です。ゼロからではなく長年の歩道走行政策というマイナスからの出発と感じています。「知った者から実践・啓発」についても、理解してもらえるようわかりやすく説明していくことが重要と考えます。コメントありがとうございました。

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